アニエスベーのファッション観や魅力に迫る
アニエスベーの創設者はアニエス・トゥルーブレという女性。アニエスベーのブランド名につく「b(ベー)」は、最初の夫であるボルコワ氏の頭文字から来ています。ブランド名につけるほど彼のことを愛していたのかと思いきや、実は17歳のときに結婚して子供をもうけてすぐに離婚しているのです。なんとも謎めいたブランドの命名ですね。
フランスのヴェルサイユに生まれたアニエスベーは、当初美術館のキュレーター(高い権限を有する学芸員)を目指しており、ヴェルサイユ美術学校に進学しました。卒業後は結婚(この時の夫がボルコワ氏)、出産、離婚とめまぐるしく人生が変化。その後、アニエスベーはファッション雑誌ELLEに入社し、子供向けファッション情報の編集に携わります。
アニエスベーはELLEを退社後、スタイリストやフリーのデザイナーなどを経験し、ファッションデザイナーとしての感性を磨いていきました。
そして、ついに1975年にアニエスベーは自らのブランドを立ち上げ、フランスはパリに店舗をオープンさせました。これがアニエスベーの第一号店となります。
5年後にはニューヨークに進出。アニエスベーは人気を高めながらじわじわと世界へ広がっていきました。日本には84年に上陸。その後根強い人気を保っています。
アニエスベーは、自らのファッション観について次のように語っています。
「服を着ることは、体にとっての快適さだけでなく、頭の中の快適さでもある。」
この価値観に基づくアニエスベーのデザインは、フレンチカジュアルがメインで、洗練された雰囲気と着やすさがほどよくバランスされています。アニエスベーの服は着心地がいいだけでなく、着ているときに浮かぶインスピレーションや想像力を大切に考えられているのです。
アニエスベーのファッション観は、離婚後の母子家庭での暮しではぐくまれたといってもいいでしょう。当時の暮らしは決して楽ではなく、アニエスベーは自分や子供が着る服をスーパーの安物から選んでいました。しかし、アニエスベーが普通の人と違うのは、安物の服に自分で手を加えたこと。
元々美術に興味があったアニエスベーは、美的センスに優れており、安物の服でもセンスの良い服に仕上げていました。ELLEの編集者になったのは、そのセンスが認められたからとも言われています。
また、暮らしが楽ではなかったことから、シンプルで飾ることのないデザインを重んじてたのでしょう。アニエスベーが、有名になってからも、かたくなにメジャーファションショーに参加することなく、シンプルななデザイン、こじんまりしたショー(発表)にこだわるのは、そんな背景があったからだと思われます。
アニエスベーのシンプルでいて優しいデザイン、ぬくもりのあるロゴは、自身が苦労しながらもファッションを楽しんでいたことが大きく影響しているのです。
アニエスベーのブランドには、agne`s b FEMME(ファム、レディス)、agne`s b HOMME(オム、メンズ)、agne`s b ENFANT(アンファン、子供服)、agne`s b LOLITA(ロリータ)、agne`s b VOYAGE(ボヤージュ、バッグ)などがあります。
アニエスベーで取り扱うアイテムは、服だけでなく、バッグ、腕時計、メガネなどのアクセサリー類もあります。それら全てにアニエスベーの感性が発揮されているのです。
アニエスベーは、ファッションだけでなく映画にも興味を持っており、独自の映画製作会社も所有しています。2008年には縁の深い映画監督ハーモニーコリンの「ミスター・ロンリー」をサポートしています。この映画の中でマリリンモンローが着る服を、アニエスベーがデザインしています。
アニエスベーはチャリティーにもとても力を入れており、阪神・淡路大震災でTシャツを販売して収益を復興にあてたのは有名な話です。アニエスベーのチャリティーは日本だけでなく、赤十字社やエイズ撲滅、コソボなどに対しても支援してます。
困っている人を助けるというスタンスも、アニエスベー自らが過去に苦しい経験を積んできたからと言えるでしょう。自分が苦労したからこそ分かる、人の苦しみ。アニエスベーは苦しんでいる人たちを放っておけないのです。この優しく暖かいアニエスベーの人柄がデザインに自然と出てくるのでしょう。
アニエスベーの製品は、今後も私たちに体と頭の心地よさを提供し続けてくれることでしょう。